今、学校現場は慢性的な人手不足に苦しんでいる。
年度途中で欠員が出て、「本校で先生として働いてくれる方はいませんか?」と、ツテを頼りに探し回る話もよく聞く。
そんな中、文部科学省は今年6月に、「教職大学院生が実習の一環として、非常勤講師となって働きながら学ぶ」ことを推奨する通知を出した。
大学院生が教壇に立つ「学び方・働き方」には、学生にとって学校にとって、どんなメリットがあるのだろうか。
長野県から愛知県へ引っ越してまで働く理由
今、日本中の学校が教員不足に頭を悩ませている。GIGAの先進的な実践で全国に知られる、愛知県春日井市の藤山台小学校も例外ではない。1学期に担任の欠員が生じ、急遽代わりの先生を探さねばならなくなったのだ。そこで白羽の矢を立てたのが、信州大学大学院の若月陸央さんだった。
「若月さんは、本校が指導していただいている信州大学・佐藤和紀准教授の研究室に所属する院生です。そのため本校を何度も訪れており、人となりもよくわかっていました。若月さんなら間違いないと確信し、『本校に来ていただいては如何でしょうか?』と管理職の先生に提案してみました」と、藤山台小の久川慶貴先生は振り返る。しかし、信州大のある長野市と春日井市は200キロ以上離れており、引っ越す必要がある。それでも、藤山台小から講師の打診を受けた若月さんは「願ってもないチャンスだ」と、この申し出を快諾した。
「僕は大学院で、春日井市で行われている『複線型の授業』を研究しています。特に、久川先生の授業を目標としています。その春日井市で、しかも久川先生といっしょに働けるなんて、最高の環境。研究室の佐藤准教授も、『しっかり学んできなさい』と快く送り出してくれました」
愛知県春日井市立藤山台小学校
近藤 善敬 教頭先生
久川 慶貴 先生
若月 陸央 先生
兼・信州大学大学院 教育学研究科
理論と実践を往還し成長できる理想的な環境
この9月から、若月“先生”は、学級担任として勤務し始めた。若月先生を迎え入れるにあたり、近藤善敬・教頭先生はこう伝えた。「ご自分がやりたい授業にどんどん挑戦してください。それが、本校の校風です」。久川先生も、「ぼくの授業をいつでも見に来ていいよ」と、歓迎した。若月先生の、充実した日々が始まった。
「GIGAの利活用や複線型の授業といった、春日井市ならではの先進的な実践に関しては、自分でもしっかり研究してきたつもりでした。しかし、いざ自分が実践してみると、新たな発見があったり、課題を見つけたり、毎日が勉強です。わからないことがあれば、久川先生や同僚の先生にすぐ聞いていますし、久川先生や他の先生の教室に足繁く通って、授業を見て学ばせてもらっています。
そうやって学んだことを理論に反映し、すぐに実践できる。理論と実践を頻繁に往還できるこの環境が、研究者としても教師としても、プラスになっています」
特に、「土台づくり」の大切さを学ばせてもらっていると、若月先生は実感を込めて語る。
「藤山台小が複線型の授業や個別最適な学びを実現できるのは、そのための『土台』があるからなのだと、あらためて確認できました。
たとえば複線型の授業に入る前に、しっかり一斉指導したり。構造的な板書を取って、子どもたちの思考を導いたり。学習規律や学級経営の大切さも痛感し、日々学ばせていただいています」
若月先生の存在が他の先生や子どもにも好影響
若月先生の存在は、藤山台小にもいい影響を及ぼしている。
「本校は、若月先生のような20代の若い教員が多い。長野からわざわざ学びに来た若月先生の熱意は、他の若い先生方にもいい刺激になっています」と、近藤教頭先生は目を細める。同世代の若手は、若月先生にとっても、心強い「仲間」になっているそうだ。
「若手の先生方とは、毎日のように議論しています。久川先生のような授業をするには、何から始めていけばいいのか。子どもたちには、どんなスキルを身につけさせればいいのか。同じ目標、同じ課題を持つ同士として、切磋琢磨しています。
また僕は春日井市に土地勘がないので、休日には遊びに連れ出してもらったり、公私ともにお世話になっています。」
若月先生が担任する子どもたちにも、いい影響が出ているという。
「春日井まで学びに来た熱意とチャレンジ精神は、子どもたちにも伝わっています。担任が変わっても、子どもたちは落ちついて学校生活を送っています」(近藤教頭先生)
大学院生と学校 両者にとってWin-Win
毎日がとても充実している若月先生だが、大学院から遠く離れた土地で働くことで、学業に支障はないのだろうか?
「大学院の講義や研究室の活動は、すべてオンラインで参加させてもらっているので、問題ありません。藤山台小での実践や学びも、研究室のチャットで報告しています。デジタル技術のおかげで、教員としての勤務と大学院での学びを両立できる。いい時代ですね」
若月先生は大学院修了後、故郷の長野県で教壇に立つことが決まっている。「本当は手放したくないのですが、最初からそういう約束でしたので」と、近藤教頭先生は残念がりつつも、「若月先生なら、どこに行っても立派に活躍されるでしょう」と、太鼓判を押す。若月先生も、「子どもたちとの別れを想像すると、今から辛い」と顔を曇らせながらも、「ここで学んだことを新任校でも必ず活かしたい」と、決意を語ってくれた。
藤山台小と若月先生。両者にとってWin-Winな関係が、ここにはあった。慢性的な教員不足が続く今、このように学生の力を借りる必要が出てくるだろう。
そのためには、学業と教職とを両立できる制度の整備が必要だ。そしてもう一つ、「開かれた学校」である大切さを、今回の取材で実感した。藤山台小が若月先生を招くことができたのも、同校が普段から研究者や視察を快く受け入れ、信頼できる「人脈」を構築していたからこそ。今回のケースが、管理職の方々や教育委員会の参考になれば、幸いである。