GIGAスクール構想による1人1台端末導入より半年以上が過ぎ、少しずつ成果や課題が見えてきた。そこで、これまで実践的な研究を重ねられてきた和歌山大学教職大学院の豊田先生より、情報活用能力をテーマにご寄稿いただいた。
GIGAスクールの本格実施に際して、多くの自治体は1人1台体制での効果的な授業を目指し、研究推進校を指定した。それらの学校からの問い合わせで最も多いのは「何からすればいいでしょうか?」という質問であった。これまでのICT活用研究校との違いは、あまりに多岐にわたる課題(1人1台体制、デジタル教科書活用、クラウド活用、AIドリル活用、リモート授業、情報モラル・セキュリティ対応等々・・・)が一度に押し寄せ、明確な方向性が見出せないままのスタートとなっていたことである。その後も、不慣れなツールと格闘しつつ、ハードウェア・ネットワークトラブルへの対応に疲弊するといった学校の姿がみられた。
現在、半年以上が過ぎて、ようやくいくつかの成果も見聞きするようになってきた。特に、児童生徒らの操作スキルの向上・習得の速さを実感したという声が多く聞かれる。そこで、GIGAスクール時代に求められる情報活用能力について、これまでの経緯を踏まえて、改めて考えてみたい。
GIGAの最初の「G」=Globalは「タイピング」から
現在の児童生徒にとっては、フリック入力全盛の時代ともなっており、もはや家庭内ではキーボードを使用することのほうが稀である。しかしながら、GIGAスクールの情報端末は「キーボード付き」であることは必須事項となった。この意義について「情報活用能力」の観点から考えてみたい。
一般的な「パソコン」が世に出てから40数年、多様な入力方法が普及してきたとはいえ、キーボード入力の優位性は変わっていないし、家庭内でフリック入力を覚えるのであれば、学校教育では今後もビジネスユースで安定した利用が見込まれるキーボード入力を覚えることは必然であると考えられる。ある海外日本人学校の教員は、日本から転校してくる児童生徒らと、現地学校とのタイピング速度の違いを実感しており、やはり、その差がその後の教育活動全般においても埋まらず、活用頻度にも影響するという。日本の教師は「ICTでやると(児童らに教えるのに)手間がかかる」というスタンスであるのに、その国の教師らは「ICTでやったほうが(児童らにスキルがあるから)手間がかからない」という認識である。この差が、今後の進級・進学後もそして就職後も埋まらず、PISA調査(2018)において、日本のICT活用授業率最下位という結果につながったのかもしれない。
また、プログラミング教育を推進するにあたり、小学校段階ではブロック形式のプログラミングが主流とはいえ、多くの実践報告からキーボードスキル不足が指摘されてきたことも確かである。プログラミング教育自体も、諸外国がプログラミング授業のカリキュラムを確立させてきた中、後塵を拝しながらも国内での推進が図られてきたが、キーボードスキル不足でつまずいていては、世界を相手にすることなど到底不可能である。
また、今後、ペーパー試験がますますCBT(Computer Based Testing)に移行する中で、タイピングで困らない・つまずかない、文字入力操作に気を取られないことは重要であろう。
キーボードスキル不足が、それに伴うICTを活用した教育(情報活用能力の育成やプログラミング教育)や紙文化からの移行に関する阻害要因となっているのであれば、Globalな観点からみても、早急に対処すべき事項であり、その点から、GIGAの最初の「G」=Globalの第一歩は、タイピングであるといえる。
一方で、スズキ教育ソフトが提供する「キーボー島アドベンチャー」は2003年の開始から今まで、数多くの児童らのタイピングスキルを向上させてきた。その成果として、タイピング能力を備えた児童らはパソコン操作の自信につながっていること、各種資料作成のスピードを向上させていることが活用を促進する要因であることも報告されてきた。
平成25年に実施された情報活用能力調査(文部科学省)※1の結果からも、キーボード入力の平均速度の速い学校が「情報活用能力」も高いという結果が数値的に示されている。これは、中学校よりも小学校で、より顕著な差となっており、小学校段階では、タイピングスキルの差が、情報活用能力に大きな影響力があることが分かる。ともかく、文字入力でつまずかないことが重要であり、思考を遮らない、負荷のかからない程度(つまりは、書字速度と同程度かそれ以上)の速度で記述できることがひとつの目標値となると考えられる。
以上のような点から、キーボードスキルの向上は、小学校で文字を書く練習を授業中にするのと同様に重要であるといえる。但し、キーボードスキルの向上は、丁寧につきっきりで指導する必要はない。無料のタイピングソフト(サイト)は多数あるし、日常的に、授業の「振り返り」や終わりの会での3行日記などを書くことでも向上は見込まれる。今一度、情報活用能力の向上の礎としてのキーボードスキル向上策について考えてみていただきたい。
GIGAの「I」=Innovationは「お絵描き」から
もう1点、「タブレット」であることの意義について考えてみたい。当然ながら、学習系アプリでの漢字練習や英単語・数字などの文字入力にも使われるし、写真や画像に直接書き込みができることが利点ではある。
但し、自治体によっては、教師用端末は通常のノート型PCで児童生徒用がタブレット型といったケースもあるし、Google ClassroomもOffice365もタブレット必須というわけではない。高学年でのプレゼン作成などをみると、タブレット機能は使われていないことのほうが多い。むしろ、中学生くらいになると、タブレットではなくて、もっと画面サイズや解像度の高いノート型PCを求める場合も多い。
このような状況の中、「タブレット」である必然性の最も大きな理由は、GIGAの「I」、つまり、イノベーション(発明・創造)に関わる機能であることだと考えられる。低学年では何からすべきかと問われたら、真っ先に、「小学校1、2年生ではまずは“お絵描き”しましょう」と回答してきた。クラウドサービスとかリモート授業とか言われている中、「お絵描きですか?」と驚かれる場合も多々あるが、これまで、PC室でのパソコンに慣れる定番の活動は、マウスでの「お絵描き」であった。しかしながら、GIGAスクールでは、そのあたりのステップをすっ飛ばしてしまい、クラウドサービスの利用やオンライン授業への活用がいきなり降ってきて、高度な使い方を強いられているように感じられる。これによって、指導の限界を感じた学校も多くあったといえる。タブレット本来の機能というべき「画面上に直接描ける」といった活動をもっと提唱する必要があるのではないかと考えられる。
これまで、「お絵描き」から発展して、観察記録や絵日記、「物語づくり」の実践などが生まれてきたし、写真の加工・トレースなどもおこなわれてきた。紙面よりも、画面での描画が得意であったり、スピーディにアイディアを表現できる児童生徒の話も聞かれる。紙の上での描画方法を教えるのと同時に、デジタルでの表現方法の特徴(レイヤー機能、途中経過の保存、合成等々)をマスターすることは創作的な活動の基礎を育むことにもつながるはずである。
但し、GIGAスクール関連のサイトには、単純なお絵描き事例はほとんど掲載されていない。いまや、色鉛筆・クレヨン・絵の具と共に重要な表現ツールであるタブレット端末は、コンピュータグラフィックスを学ぶ入門マシンとしての認識をもっと広げられるのではないだろうか。2019年のGIGAスクールの開始に寄せられた「文部科学大臣メッセージ」で最も強調されたキーワードは「創造性」であった。コンピュータグラフィックスによって、児童らが生み出す作品は、その範疇に入るはずだ。
「操作スキル習得」の次は「情報の判断力」
どこの学校でも、児童生徒らの「操作スキルの習得速度」及び「教え合いによる広がり」については目を見張るものがあるという声が聞かれる。
一方で、児童生徒らの認識不足が気になる点が多々ある。それは、やはり「情報の信憑性の見極め」と「著作権への意識の希薄さ」についてである。「コピペ文化」の浸透は小学生から始まっており、それが染み付いた場合、払拭するのが非常に難しい。
ある小学校6年生の社会科の授業で「織田信長」について学ぶ授業があった。織田信長については、非常に多くの「諸説」がウェブサイトに掲載されていて、それらを検索してきた児童らがあたかも真実のように述べていた。その情報源が正しいかどうか、そもそも誰がなんのために、どういった資料を元にして発信している情報なのかについてはもちろん考えずに、「ネットに載っていた情報を探し当てた」と誇らしげでもあった。
社会科関係の情報には、イデオロギーや思想に偏りがあるもの、政治的な意図を含むものまでが容易に目に付く。児童生徒らは、好奇心から、非日常的・アンダーグラウンドな情報に傾倒する可能性もある。理科における環境問題についての調べ学習、総合的な学習の時間における地域調べにおいても同様に、「怪しい情報」がたくさん出てくるが、その信憑性について考える場面はあまりない。
ある防災の授業では、こういった「諸説」や「噂話」の類をもとにして、避難経路を考えるという場面もあったが、情報の信憑性の見極めは、命に関わることでもあるし、詐欺などを見抜く観点からすると、将来自分の財産を守るということにもつながる重要な指導事項であるといえる。つまり、情報の判断力がついていない状態で、縦横無尽に検索をおこなうことは、ある意味リスクを伴うものである。
情報の信頼性を考える授業場面の一例
情報の判断力を備えた上で、絶えず情報の信憑性を確かめながら学習できる場が教室であり、多様な観点を出し合えるのが授業の醍醐味ではないかと考えられる。極論をいうと、現在のようなGIGAスクールの導入期では、正しい情報の判断力をつけることが調べ学習の最大の目的であると言い切っても差し支えないと思われる。調べた内容は忘れ去られていくかもしれないが、情報の信憑性を見抜く目というのは段々と鍛えられ、積み上げられていくからだ。
調べ学習をしている児童らは、URLの意味も理解していないし、ましてや、ウェブサイトのどこをみれば、出所が明らかになるのか、一次情報・二次情報とはなにか、広告・宣伝への誘導を目的としたアフィリエイトサイトの仕組みとは等々についても教えられてはいない。
私が以前におこなった情報検索力を確かめる調査で、ウェブサイト上でどの情報を信頼するかについては、「検索結果が表示された順番」が重視されていたことが分かっている。
「情報活用能力」のある研究校では、6年生の児童が、グループでの調べ学習の途中に、「この情報どこから引っ張ってきたの?引用・出典が書かれていないと気持ち悪い」と発言したことがあった。この「気持ち悪い」という言葉がとても印象的であった。こういった感覚を持つまでに指導するためには、絶えず、情報源を意識させ、情報の信頼性について言及し、正しい判断をしていることを評価する必要があるかと思われる。これは自然発生的には生じないため、指導者側の意識が重要である。
また、著作権については、小学校の国語科で学習するが、そのための学習単元があるというわけではなく、Topicsとしての小さな扱いである。私は、児童生徒らが著作物を扱う授業を参観した場合には、かならず「著作権法第35条」を理解した上での授業計画かどうかを指導者に問うことにしている。学校教育現場では、長きに渡ってこの「第35条」によって、授業目的での著作物の複製が認められてきたため、残念ながら、現状でも授業者自身の意識も希薄であることが多いといえる。
なんとなく、学校の中では「著作権は気にしなくてもいい」といった雰囲気があるが、児童生徒らは、いつの時点で、「この情報の扱い方は、実社会では通用しない」ということを理解するかは定かでない。よって、GIGAスクールでは、「著作権法第35条」で守られた使い方に甘んじるのではなくて、一般社会で通用する著作物利用をおこなうべきではないかと考えられる。
「個別最適な学び」と情報活用能力
GIGAスクールの推進校の計画をみると、「ICTの効果的な使い方を研究する」との記述が多いが、ここでいう「効果的」という意味合いは「より教科の学びに寄与するための指導者側の視点」からであり、要は「児童生徒らが従来の授業よりも高得点がとれる使い方」と捉えられる。
現在、文部科学省の提唱する「個別最適な学び」については、その概念がまだ教育現場に正しく浸透しておらず、タブレットによる習熟度別授業がイメージされている場合もある。『個別最適な学び』には、「指導の個別化」と「学習の個性化」の両面が掲げられているが、前者の印象がどうしても強くなってしまう。また、「指導の個別化」というフレーズからは、「学習状況に課題があり、支援を要する児童生徒」をターゲットに思い浮かべてしまうことも確かである。
テストの平均点を向上させるための個別最適ではなくて、個々の児童生徒の特性や学習状況に適した学び方・指導体制を構築して学びの質を向上することが目的であり、得点向上はマストではないと考えられる。嫌々耐えて、もしくは神経をすり減らして得た知識・理解と、その児童生徒に適した学び方や進度で達成感や充実感を持って学んだことでは、同じ学習内容でも質的に異なるし、今後の学習展開にも大きな差が生じる可能性も高いといえる。「学習意欲が減退していたところ、学習レベル・進度に応じた学習アプリで理解が進んだ」、「学校で視聴させてもらった学習コンテンツを家庭でも再度視聴してより理解が深まり、他の分野にも興味が広がった」など、個々に応じた対応ができることが重視されるべきではないかと思う。特に、学力上位層の児童生徒らは、本来の学習進度では時間を持て余している場合もある。情報活用能力を生かせば、進度の速い児童生徒らは、目の前の学習課題を更に深めるために調べ学習を自らおこなったり、場合によっては、よりわかりやすい説明資料を作成できる可能性もある。
さて、「情報活用能力」の観点からいえば、もう一方の「学習の個性化」が注目される。「学習の個性化」とは、「子供の興味・関心・キャリア形成の方向性等」に応じて、「課題の設定、情報の収集、整理・分析、まとめ・表現を行う」ことであり、「教師が子供一人一人に応じた学習活動や学習課題に取り組む機会を提供することで、子供自身が学習が最適となるよう調整する」とされている。つまり、情報活用能力が備わった(育成された)児童生徒に、それらを「発揮」できる機会=主体的に判断して学習を深められる場面設定が重要視されていると考えられる。よって、テーマを与え、手段も限定して、一律に同じ成果物を作るのではなくて、できるだけ、調べ方も、まとめ方も、表現・発信の手段も自らの判断で選択できることが理想である。
しかしながら、あらゆる情報活用能力を網羅的に習得し、自らの判断で使い分けられるようになるには、やはり「一律の指導」は事前に必要であろう。
図1は、私が提唱している授業の展開モデルだが、このような積み上げによって、徐々に児童生徒らのできることを増やして、短いサイクルで発揮させていくことができれば「学習の個性化」の近道になるのではないかと考えている。単元のどこにこういった考えを位置づけるのか、どの学年・どの段階で重点的に取り組むのか、どういった教科に位置づけていくのかなどカリキュラム・マネジメント上の課題は大きいが、GIGAスクールにおける「学習の個性化」の遂行には欠かせない視点であるといえる。
系統性を意識したカリキュラムイメージ
図2には、中央の赤い部分に、各種の情報活用能力が「発揮」される重点単元が示されている。この単元は、インターネットで調べた情報をもとに環境問題に関するレポートを作成する取り組みである。
授業後に、これまでに積み上げた知識や技能をピックアップすると、実に13もの要素(図中の①〜⑬)が抽出され、それらはほとんど以前の学年で育成されたものであることが分かった。こういった児童らの情報活用能力のつながり・積み上げを意識できるかが、次年度以降の課題となるはずである。本年度は全学年で導入が進み、模索・手探り段階であるが、次年度以降は必ず、児童生徒らの系統的な能力形成の「交通整理」が必要となるはずである。
これまで、文部科学省の情報活用能力体系表例や情報活用能力の指導計画一覧表などが数多く作られているが、具体的にどの学年のどの単元でどのレベルまでを目指すのか、その単元で育成された能力が、次のどの単元へつながるのかといったところまでをイメージすることができないままであった。
こちらの学校では情報活用能力を4大項目(収集力/整理・分析力/編集力/発信・表現力)にカテゴリ分けして、それぞれに6つ程度の下位項目が設定されている。この系統図(図2)をよく見ると赤い字で「収5A」「編6B」などといった標記があるが、これは「収集力の5番目をAレベルまで育成する」「編集力の6番目をBレベルまで育成する」という意味を表している(例として図3参照)。こうやって、情報活用能力の系統性と指導するレベルをビジュアライズしていくことで、「どういった能力を、どこまで引き上げるべきか」を意識できるようになったといえる。各学年もしくは学期に1回程度は、情報活用能力を育成(もしくは発揮)する重点単元を決めて、こういった能力形成のイメージマップを描いてみると、どの力に積み上げがあるのか、もしくはないのか、今回の重点単元を遂行するために不足している学習経験や能力は何かなどが把握しやすくなるはずだ。
おわりに
GIGAスクール本格実施後の研究協議で議論される視点として、「本時のICTの使い方は効果的であったか」といった項目が掲げられることが多い。また、「ICTの活用は手段であり、目的化してしまってはいけない」といった前提が暗黙の了解として立ちはだかっている。 まず、「本時のICTの使い方が効果的であったかどうか」は、その場で即判断できるものではないといえる。ある学校の研究授業後の協議で、「デジタルノートではなくて、紙でもできるのではないか、むしろ紙でやるほうが理解力が高まったはずだ」との議論がなされた。しかしながら、その後のコロナ禍対応で休校に陥った際には、紙ではなくてデジタルノートで実施した経験があったからこそ、リモート授業へのシフトがとても円滑にでき、はじめてのリモート授業で、児童らのデジタルノートの共有までを成功させた。以前に「批判」された授業が、後日の臨時休校時には、「称賛」されることとなり、批判した側は、結果的に自分のクラスの「学びを止めた」ことになった。
また、ICT活用は場合によっては目的化されることもある。情報活用能力は、現行の学習指導要領では、「学習の基盤」であり、育成すべき資質・能力と定められている。例えば、多様な情報手段の選択肢を獲得するといった場面(=情報活用能力の育成場面)において、ICTを用いた表現手法を習得するという設定なのであれば、ICT活用自体が目的となるはずだ。端的にいうと、情報活用能力の育成にICT活用が必須なのであれば、ICT活用自体を目的化しても差し支えないはずである。
また、多様な表現手段を「教え込まれた児童」らは、「情報発信しよう」というテーマが与えられたときには、自らの得意分野を発揮して、表現手段を自ら選択して、主体的な学習を展開できた事例もある。ICT活用を「目的化して取り組んだ成果」が後々に表出した場面であったといえよう。
情報活用能力の“育成”を目指した授業は、その場では成果を判断することができず、その能力が“発揮”される場面にて、評価が下されるはずである。
豊田 充崇
和歌山大学大学院 教育学研究科教職開発専攻(教職大学院) 教授
和歌山大学教育学部卒業後、和歌山県内の中学校教諭、和歌山大学教育学部附属教育実践総合センター講師・准教授を経て、2016年度より和歌山大学教職大学院教授。和歌山づくしの経歴。「自分でできない授業は提案しない」をモットーに、50歳を迎えた今も、自ら出前授業を実施して、開発した教材や新しい機器・アプリ等を用いた実践的検証をおこなっている。