インタビュー&コラム

Column

なぜactive"learning"なのか

茨城大学教育学部 教授・文学博士
田中 健次

(2016/12掲載)

 十数年前のことです。私は在米日本人作曲家の紹介を得て、ハーバード大学のロバート・コーガン教授の授業を二ケ月ほど聴講させていただきました。コーガン教授は現代音楽の研究者であるとともにアメリカを代表する作曲家の一人であり、彼の門下からは新進気鋭の作曲家が輩出されていました。私が聴講したクラスは作曲理論という、作曲家を目指すならば必ず学ぶ必要がある「和声学」や「対位法」を扱う授業でした。これらを学ぶことによって、いわゆる古今東西の西洋音楽を分析できるようになり、そこから自分独自の作風を立てることができるようになります。

 その授業では、コーガン教授が「これについては、あなた方はlearnしなさい」「さて、この作品についてstudyしよう」と、「learn」と「study」という語を明確に使い分けていました。英語の堪能な日本人作曲家にそのことをお聞きしたところ、日本語ではlearnもstudyも「学ぶ、勉強する」的に訳されますが、learnには「覚える、記憶する」という意味があり、studyには「調べる、考える」といった意味合いが強いと教えてもらいました。

 その後、コーガン教授を再訪できる機会を得ました。その頃、まだ日本ではアクティブ・ラーニングという考え方は一般的ではありませんでしたが、再会した時の教授の発言をはっきり記憶しています。

 「私の大学でもそうですが、教育界はアクティブ・ラーニング教育で沸騰しています。声を大にしてその必要を説く教師ほど、私はこの教育方法を理解しているように思えないのです。主体的にものを考え、創造するためには、learnが必要なのです。learnを経てstudyがあるのです。この手順を踏まないと、創作作品は奇抜であっても未来に残るものにはならないのです。だからこそ、interactive "study"ではなくactive "learning"なのです。覚えるべきことを覚えているからこそ、studyが可能なのです。しかもactive "learning"には、reflection(省察)が必要なのです。これがないと学習者の思考や創造性は表層的なものになってしまいます。」

 今、日本では小学校から大学までactive learningを取り入れた授業が求められています。私はよくこの語について教育関係者に確認し、また学習活動を参観するのですが、私には、関係者において、考え方や実践のあり方について齟齬があるように思えてなりません。

 もう一度「learn」と「study」の意味、そしてなによりも日本のアクティブ・ラーニングに落ちている(あまり言われていない)「reflection」を再考すべきだと思っています。そうでないと、かつて言われたように「活動あって学習なし」「主体的に発言する=言いたい放題」といった学習活動に陥る危険がある、と感じるのは私だけでしょうか。

田中 健次 先生

茨城大学教育学部 教授・文学博士

【プロフィール】

1980年国立音楽大学大学院修了。電子楽器メーカー勤務後、音楽制作会社プロデューサー職、佐賀大学教授を経て2002年度より現職。研究分野は音楽教育学、伝承文化研究。著書に『音楽担当になったら読む本』(明治図書)、『音楽授業がぐーんと盛り上がるお話ネタ80』(学事出版)、『音楽の授業をつくる』(大学図書出版)等多数。

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