1 アクセルの踏み方だけでなく、ブレーキのかけ方やハンドルの切り方も
(2006/06掲載)
学校では情報機器の整備が進められ、それに伴って導入された情報機器をより多く使うことが求められています。しかし、子どもたちにアクセルの踏み方だけを教えるのは危険です。
情報通信が発達していなかった時代には、子どもたちも自分の身の丈に応じた情報を獲得してきました。それは、幾層にも重なった柔らかなシェル(殻)が子どもを保護し、「身体性」という見えないシステムで守り育てているように映ります。生まれたばかりの子どもは母親の腕の中やベビーベッドが世界そのものであり、そこで得られる情報を獲得します。幼稚園に行くようになるとその世界は徒歩で行動できる範囲に広がり、関わる人たちも幼稚園の先生や近所の友だちに増えていきます。子どもたちは言語を獲得し、自分の獲得した語彙の中で情報を発信します。このようにして、子どもたちは小・中・高校へと進学し、その身体的発達に応じて新しい世界を獲得していくのですが、獲得の過程で与えられる情報もコントロールされてきました。
ところが、インターネットの登場によってこのような保護システムに風穴が開けられることになります。情報は子どもたちを守ってきた柔らかいシェルを貫通して直接取引され、子どもたちはすべての大人のささやきを耳にし、世界中のトイレの落書きを目にすることになります。キーワードをテキストボックスに入力し検索ボタンをクリックするだけで差別や偏見、誤謬や欺瞞に満ちた情報が濁流となって子どもたちに押し寄せてきます。学校でコンピュータの操作指導に終始することは子どもにアクセルの踏み方だけを教えて高速道路を走らせることと同じです。情報社会の荒野に立つ子どもたちに、情報教育は生きるすべとなる情報モラルとしてブレーキのかけ方やハンドルの切り方も教えなければならないのです。
2 情報モラルの3本の矢
(2006/10掲載)
情報モラルの指導には3本の矢が必要です。まず「情報モラルの指導」です。ルールやマナーとして情報モラルを教え、きちんと守らせる児童・生徒指導として行うものです。ネットワークの正しいユーザーとして利用規程を教えます。学級で何か問題が起こった際にみんなで話し合い、今後の方向性や対処法をルールとして決めていくのも指導です。
二つ目は「家庭への啓発」です。学校のネットワークはフィルタリングやSPAM対策など、様々な安全対策が施され、しかも教師の指導の元に利用しています。ところが家庭のネットワークはそのような対策が施されていない場合が多いです。学校で学んだスキルを家庭で凶器として使わせてはなりません。家庭でのルール作りや家族で話し合える雰囲気作りが必要で、そのための学校からの啓発が求められます。
最後の矢は「情報モラルの授業」です。指導とは異なり、子ども達が一人きりになった際でも問題に対して正しい対処法が取れるように、内面から子ども達を変えていくことを指します。情報モラルは心の問題でもあります。コンピュータの先にいる相手の人の立場を考えた言動を行い、コミュニティーでの望ましい関係を作りながらネットワークをよりよいものにしていく態度を養わなければなりません。
「情報モラルの3本の矢」はそれぞれに大切です。バランスよく学校の教育活動の中に位置づけて指導・啓発・授業をそれぞれ実践することが今後求められます。
3 情報教育のテキストと学習活動の構造化
(2007/02掲載)
このたび、学研から情報教育のテキスト(中学年用と高学年用の2冊)発売されました。編集にはメディア教育開発センターの堀田先生が中心となって、「情報教育な人」が参加しています。私も「情報モラル」の単元を担当させていただきました。情報モラルのテキストを作ることがここ数年の目標だったので、できあがったテキストを手に取った時には感慨もひとしおでした。しかし改めてテキストを手にすると、テキストだけでは情報教育の授業ができないということも改めて思い知らされました。
今、このテキストに合わせた指導書を作っています。中学年、高学年共に6時間の指導計画を割り当て、それぞれの時間の学習活動を構想することで思い描いていた授業のイメージを具現化していきました。要は、テキストという枠組みの中でいかに授業として学習活動を構造化していくかがポイントになります。学習活動には教材も必要です。教材とは別に、実際にコンピュータを使って体験的に事例を学ぶための教材コンテンツも必要になります。「あんしん・あんぜん情報モラル」をこの教材コンテンツとして使うのも有効です。
情報モラルの授業を創り上げる授業者には、テキスト、ワークシート、デジタルコンテンツなどそれぞれのメディアの良さを生かすコンダクターとしての能力が求められます。